シンポジウム「第5広告媒体論――ポスターの理論と歴史」のお知らせ。

以下のシンポジウムのお知らせをいただきました。

第5広告媒体論――ポスターの理論と歴史

  • 日時:2013年10月20日(日) 13:00〜16:30 (開場12:30)
  • 場所:京都国立近代美術館 講堂
  • 主催:美術フォーラム21刊行会/協賛:醍醐書房
  • 聴講料:無料
  • 定員:100名(先着順/11:30より整理券配布)

「広告」や「宣伝」と言えば、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスコミ4媒体を利用したものが、現在の主流。一枚擦りの印刷物として壁や柱に貼り出されるポスターは、周縁的で、「過去の遺物」とか「オールドメディア」とかと呼ばれることもありますが、有効なメディアであり続けていることもまた事実。このシンポジウムでは、ポスターが、受容者(潜在的消費者)に働きかけて、広告主の販売する商品・サービスを購入・利用させるために、どのような工夫・仕掛をしてきた/しているかについて、理論的・歴史的な視点から考えてみることにします。

プログラム

大正イマジュリィ学会第29回研究会「민화(MINHWA)と大津絵――〈民画〉という思想」のお知らせ。

민화(MINHWA)と大津絵――〈民画〉という思想

「民画」という概念は、民芸運動の主導者であった柳宗悦(1889-1961)の造語です。初出は1927年6月刊の民芸叢書第1篇『雑器の美』の「口絵(泥絵)解説」のようです。概念の外延は、大津絵、小絵馬、泥絵、ガラス絵、奈良絵、凧絵、羽子板絵、歌留多絵、看板絵に及び、内包としては、制作者が無名(非個性的、職人的、匿名的)である点、受容者が庶民(民衆的)である点、視覚表象そのものが実用的/世俗的/定型的/下手である点に特徴が求められています。この「民画」という概念の創出が、当時もっていた思想的な意義、そして、現在におけるアクチュアリティーについて、韓国/朝鮮の민화(MINHWA/民画)と大津絵を手がかりとして議論すること。これが、本シンポジウムの目的です。

プログラム
  • 13:00-13:15:趣旨説明
  • 13:15-14:15:「민화(MINHWA)の展開様相と絵画史的意義」
    • 鄭炳模(慶州大学教授)
    • 通訳・朴美蓮(同志社大学大学院)
  • 14:30-15:00:朝鮮美術から〈民画〉を考える」
    • 片山真理子(高麗美術館研究員)
  • 15:00-15-30:「柳宗悦の工藝理論における〈民画〉の位置づけ――大津絵を事例として」
  • 15:30-16:00:「図案・模様・民画――〈近代絵画〉から疎外されたもの」
  • 16:15-17:15:討論
関連展覧会

麗美術館(京都市北区紫竹上岸町15番地、地下鉄北大路駅下車、市バス37番「加茂川中学前」下車)で「コレクション名品展?――朝鮮の絵画と仏教美術」が開かれています。開館時間は10:00-17:00です。

展覧会「Kimono Beauty ―シックでモダンな装いの美 江戸から昭和―」のお知らせ

以下の展覧会のお知らせをいただきました。

Kimono Beauty ―シックでモダンな装いの美 江戸から昭和―

  • 会場:島根県立石見美術館
  • 会期:2013年7月13日〜8月26日

ボストン美術館 ビゲロー・コレクションのきものが初里帰り
きものは、日本独自の伝統文化として発展し、女性の美しさに彩りを与えてきました。近年では、美術品として、またファッションの世界においても注目され、あらためて高い評価を得ています。
本展覧会は、江戸時代中期から昭和初期に至るきものを中心に、女性の美をともに支えた帯や髪飾りなどの装身具、また当時の風俗をいきいきと描いた絵画作品を合わせて展示し、きものの美と、その装いに対する日本女性の細やかな美意識を検証しようとするものです。
展示品には、ボストン美術館の所蔵品の中から、明治期に来日し、日本文化を心から愛したアメリカ人医師ウィリアム・ビゲローの収集品を加え、外国人の目を通したきものへの評価にも着目しながら、世界に誇るきもの文化の魅力を探ります。

展覧会「藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に」のお知らせ。

以下の展覧会案内をいただきました。

藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に

千代田区立日比谷図書文化館では、世界的な画家、藤田嗣治がフランスと日本で、とくに日本において手がけた挿画本や装幀、さらに雑誌の表紙画など多岐ににわたる「本のしごと」を中心に紹介する展覧会を開催します。日本での装幀の仕事が一堂に会す初の展覧会です。
1913年にパリに渡った藤田嗣治(1886-1968年)は、パリ画壇でのゆるぎない地位を確立すると同時に、挿画本興隆の時代のなかで精力的に挿画本の制作に取り組みました。その後1933年から日本に定住した藤田は1949年に日本を離れるまでの間、文学者、詩人、文化人たちと協働し、挿画本の仕事を続けました。 本展ではその1920年代から40年代まで、藤田にとって二つの祖国ともいえるフランスと日本において、とくに日本で藤田が手がけた「本のしごと」を中心に紹介します。
また、1937年から44年までを過ごした麹町区六番町(現千代田区六番町)のアトリエでの暮らしにもスポットをあて、写真家土門拳が撮影した当時の貴重な記録も紹介する予定です。一冊の「本」という空間のなかに、油彩画に表現されているのと同じ、あるいはそれ以上に凝縮された藤田の才能と世界観を明らかにします。